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 君に手紙を書くなんて初めてだな。

 いざ机に向かったはいいけれど、何から書けばいいのか分からなくて正直途方に暮れている。前は四六時中一緒にいたから、わざわざ手紙をしたためるなんて夢にも思わなかった。かれこれ1時間もうんうん唸って気の利いた言葉のひとつも出て来ないんだから、全く始末に負えないよ。世の文通が趣味の人々はこんな重労働を楽しんでいるのか?

 

 前置きばかりでいたずらにインクを消費する訳にはいかないから、とりあえず近況でも記そうか。

 聞いて驚け。今、君のマスコットがグリウッドで空前の大ヒットなんだ。しかも手の平にのるような小さいやつ。アリーシャが生前描かせていた君の似姿が今日に至るまで語り継がれていて、家内安全・商売繁盛・厄除開運の豪華3点セットのお守りとして売られているよ。

 

 家内安全がどう導師と結びつくのか僕にはさっぱり分からないが、少なくとも商売繁盛は当たってるのかもな。マスコットのお陰でレディレイクの土産物屋が大繁盛してるし。僕に言わせればちょっと可愛すぎるけど。

 

 今時マスコットは可愛くなきゃ売れないのよ、なんてエドナがしたり顔で言うんだが、それにしたって二頭身だぞ、二頭身。青春を謳歌している女学生が鞄にやたらめったらつけてるようなやつだ。なんだか君が安易に売り物にされているようで、ちょっぴり面白くない気もするんだが、君自身はどう思うだろう。困ったように笑いながら僕と同じ感想を漏らすだろうか。それとも、「お守りの数だけ人が何かを願ってる証拠なんだから、それはそれでいいよ」なんてあっさり言うだろうか。


 

 ロゼの遺した「セキレイの羽」はぐんぐん成長し、各種ギルドを取りまとめる巨大組織として財界に君臨しているよ。豊富な資金力を駆使して現役導師のサポートや研究開発に力を注いでいるらしい。

 今の会長はずいぶん若いが僕らのことを知っているようで、すれ違えば丁寧に挨拶してくれる。「ミクリオ様、ご機嫌麗しゅう」なんて仰々しく頭を下げられるのにはちょっとばかり困りものだけどね。勝ち気そうな目が、どことなくロゼに似てる気がするよ。どことなくだけど。


 

 そうそう、便箋と封筒はライラに選んでもらった。青いインクをくれたのはエドナだ。空と湖の境目が溶けて混じり合ったみたいな、綺麗な色だろう。ふたりとも手紙には並々ならないこだわりを持ってるみたいで、雑貨屋で2時間もあれこれ物色してたよ。

 「女性の買い物は長いな」とこぼしたら「手紙を書くっていうのは一大行事なの。書く時にはこれくらい気合いを入れるものなのよ、これだからミボは」と吟味に吟味を重ねた商品を押しつけられたな。結局僕の好みは全く聞かれなかったから、彼女達の気に入ったものを体よく買わされただけのような気もする。それでも、たとえ暇つぶしやウィンドウショッピングの一環だったとしても、ふたりがじっくり時間をかけて選んでくれたものだし、何より便箋もインクも文句のつけようがないくらい素敵だと思わないか?

 

 「手紙はいいですわ、自分を見つめ直すきっかけになりますもの」なんて言ってたけど、手紙を書くことで、何かを見つめ直したんだろうか。彼女達は。

 

 エドナは月に1回くらいのペースでレイフォルクから降りてきて、散々おやつをせびったと思ったら2、3日滞在し、気が向いた時にふらっと帰っていく。おまけに紅茶の好みにうるさくて、茶葉を切らすと「もてなしの精神が足りないのよ」とちくちく刺してくるんだからたまったものじゃない。

 もちろん、愚痴を言っている訳じゃないさ。分かってるんだ。彼女が、僕がひとりにならないよう気を遣ってくれてるんだということくらい。僕だって、もう何も知らない子どもじゃないんだから。


 

 そういえば、僕が本を出すという段にもエドナはしょっちゅう茶々を入れて来た。そう、本を出したんだ。君との旅を中心に、それ以降のグリンウッドの歴史をまとめた念願の見聞録。エドナは僕の草稿を横から勝手に読んでは「自己満足が過ぎるわ」だの「事実関係が間違ってる」だの容赦ないダメ出しを浴びせてきた。反論しようにも大概エドナの指摘は的を射ていたから、ぐうの音も出ずに口を閉ざすのが恒例みたいになっていた。担当の編集者よりもずっと編集者らしかったかもしれないな。

 

 天族が出版に関わるなんて前代未聞のことだったから、真っ向から反対する人間も、もちろんいた。既得権益にしがみつこうとする連中なんか、履いて捨てるほどいるからね。

 それは僕にとっても想定の範囲内だったけど、意外だったのはエドナとザビーダの態度だ。

 

 エドナは表情にこそ出さなかったけど、僕が刃物のような言葉を投げつけられたら憤ったし(いつもより余計に傘をくるくる回すので何となくわかる)、ザビーダはちびちびお酒を飲みながら黙って話を聞いてくれ、頭をぽんぽん叩いてきた。そういう時、ザビーダは絶対に酔っぱらわなかったし、ふたりとも苛ついたり宥めたり慰めたり助言したりしながら、一度も「もうやめろ」とは言わなかった。そして、「セキレイの羽」を後ろ盾にようよう出版が決まった時には、ふたり揃って真っ先に「おめでとう」と伝えに来てくれた。理不尽な目に遭った時に、理不尽だと怒ってくれる誰かがいるというのは、きっと想像以上に幸せなことなんだと思う。本当に。

 

 見聞録の評判は上々だった。何だかんだ目まぐるしかったけど、人間の学者達と侃々諤々の議論をするのもとても楽しかったよ。僕と君、どちらの解釈が正しいのか、読んでみてからのお楽しみだ。


 

 髪だって少しずつのびてる。長い髪は慣れないし手入れは面倒だし動きづらいしで、長髪でひょいひょい動いてるライラとザビーダのことが信じられなかったけど、最近コツを掴んできたよ。ザビーダに教わって、髪もずいぶん早く結えるようになったしね。

 長いといえば、ジイジの髪を寝ている間に三つ編みにして大目玉を食らったことを思い出すよ。あの時は本当に酷かったな、解こうとしても全然解けなくて。最終的にこんがらかった部分を切り落としたんだっけ? そりゃジイジも怒るよ。僕がやめろって止めたのに、君ときたら全然聞きやしないんだから。そもそも君は………



 

 ……ああだめだ。やっぱり、君に本来言いたかったことの10分の1も伝えられない。

 数日後か数年後か数十年後かもっと先か、「おはよう」と言い合う時がきたら、あの日の答えを言わせてくれ。

 

 君がなぜわざわざ僕の手を握ってあんなことを口走ったのか、この数百年ずっと考えてた。ずっとだ。凄いだろう。日にちに換算すれば数万日だ。

 あの日、決戦に臨む前の日、正直、僕は息が止まりそうだった。君が何かとてつもないことを決めたんだという予感は、そのずっと前からしてた。あんまり舐めるなよ、いったい何年君の幼馴染をやってきたと思ってるんだ。君の決意に気づいた時、数日は上手く眠れなくて、あの日もいつ君がそのことを言い出すか内心気が気じゃなかった。満天の星空の下で君が話を切り出した時には「ついに来たか」と観念したよ。

 覚悟っていうのはすぐに決めるものじゃないんだよな。少しずつ石を積み上げて揺るぎない石垣ができるみたいに、時間をかけて、ふとしたタイミングで決まるものなんだよな。

 

 僕の予感は半分当たって、半分外れた。君が心の中に秘めていたものは、ひとつじゃなかった。

 

 白状しよう。そのもうひとつの存在に、僕はとっくの昔から心当たりがあった。君が口に出さない限り、僕が知らない振りさえしていれば全てが丸く収まるんだと信じて疑わなかった。そうすることが君にとって最善なんだと。甘かった。言わなかったからといって、なかったことにはならないんだ。絶対に。

 

 ……すぐに返事ができなかったのは、あまりに突然で、あまりに君が真剣だったからだ。決して嫌だったとか、幻滅したとかいう訳じゃない。

 軽々しく返事をしちゃいけないと、君の覚悟を鈍らせるわけにはいかないと、そればっかりが頭をぐるぐるして、心が恐ろしく忙しかったからだ。君の引き際の良さにも驚愕した。もっと問い詰めてくるものとばかり思っていたから、それ以降何事もなかったかのように振る舞う君の潔さに、あれは白昼夢だったんじゃないかと目眩がした。

 

 生まれてこの方、君と一緒にいると驚かされてばかりだ。君がアリーシャをイズチに連れ帰った時も驚いたし、導師になった時も驚いたし、地に足がつかないことにも慣れて、そろそろ空中浮遊でもできるんじゃないかと鷹揚に構えていた矢先にそれだ。もうびっくりすることなんてないとタカを括っていたのに、悔しいことに、かなり度肝を抜かれた。そして、今に至るまでずっと考え続けている。何でわざわざあの時にうち明けたのかと。

 

 この間、ようやく分かったよ。

 君は考えさせたかったんだ。僕に。前よりも深く、長く、一瞬たりとも君のことを忘れないように。

 

 これが答えだなんて自信を持って言うことはできない。でも、もしそれが君の目論見だったとしたら、今頃夢の中でしてやったりって顔をしてるんじゃないだろうか。想像しただけで何だかいたたまれないし歯痒いしで、それに思い当たった瞬間思わず机に突っ伏したよ。これ以上何の罪もない机に宥めてもらうのも悪いから、とっとと起きて、一発殴らせろ。それまでせっせと腕を磨いておくし、君に見せるものだって数え切れないほどあるんだ。

 

 君の好きそうな地底遺跡とか、花の咲き誇る谷とか、海を越えた先の緑あふれる島々とか、君が命を懸けた世界の人々が毎日どんなに泣いたり笑ったりして精魂込めて生きているのかとか、全部見せてやりたい。

 一日でも一分でも一秒でも早く君に会いたい。


 

 できれば次の再会は、家以外だとありがたいな。

 うちのドアをノックされる度、軒先に君が立ってるんじゃないかと期待するような真似は何年も前にやめたんだ。どうせなら往来で、酒場の喧騒にまぎれて、図書館の静謐の中で、何気なく僕の肩を叩いて「ただいま」と言えばいい。

どうせ君はいつだって突然なんだから、何度でも驚かせるといい。その度に、涼しい顔で「おかえり」と言ってあげるよ。「おかえり」と「ただいま」を何度でも。

 

 そうしたら、ライラが折り紙で作った花や輪っかを部屋に飾り付けて(子どものお遊戯会みたいになると思う)エドナが鍋だのお菓子だのを作って(ロシアンルーレットになると思う)きっとザビーダがため込んだとっておきの酒を持ち寄って(収拾がつかない)酔い潰れたまま酷い有様で朝を迎えるだろうけど、そういう夜明けも、なんとなく悪くない気がするんだ。

 

 それでも、やっぱり驚かされどおしなのは納得がいかないから、この手紙は君の家の、目につく棚にこっそり置いておくよ。

 

 少しは意表を突かれる気持ちを思い知れ。



 

 追伸

 

 メイルが寂しがっていたから、今度ゆっくり話をしてあげてくれ。

 きっと食べきれないくらいのウリボア肉と、ありったけのおやつで歓迎してくれるよ。

 

 

end

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