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「失礼ですが」

「はあ?」

 

 やけに愛想のいい男からポンと肩を叩かれて、ミクリオはレディレイクの大通りで立ち止まった。

 

「天族様とお見受けしますが、お間違いないでしょうか」

「そうだけど」

 

 スレイが眠りについて、既に数百年の時が経つ。幼馴染とグリンウッドを股にかけた旅をしていた頃に比べると、天族が見える人間ははるかに増加した。ミクリオに声をかけてくる人間も、今ではさほど珍しくない。最初は人に話しかけられる度にいちいち戸惑っていたが、その度にザビーダが「人間と共存してた時代はこんなもんだったぜ。俺様も若い頃は人間の美女と一夜のアバンチュールを」などと武勇伝を披露してくるので辟易したことを覚えている。

 思い返してみれば、ザビーダは何かにつけスレイとの想い出の残骸を拾おうとする自分を、彼なりのやり方で気遣ってくれていたのかもしれないが。

 

「不躾に申し訳ありません。私は天族について研究をしている者なのですが、ご協力いただける天族の方を探しておりまして。もし差し支えなければ、お手伝いただけないでしょうか」

 

 男はニコニコと笑いながら、研究者というよりも政治家の方が相応しいような如才なさで慇懃に礼をした。身なり自体はいかにも学究の徒といった出で立ちだ。昨今の研究者は人当たりもよくなければ勤まらないのだろうか。

 

「……何で僕なんだい?」

「先程、子ども達と遊んでおられたでしょう」

「ああ」

 

 その一言で合点がいった。ミクリオはレディレイクに逗留している間、街の小さな女の子達にせがまれて物語を聴かせてあげたり、聖堂の前で一緒に花飾りを作ったりしていたのだ。それを見かけて、白羽の矢を立てたのだろう。見える人間が増えたとはいえ、まだまだ人との交流を避ける天族は数知れない。

 だからこそ、ミクリオは知らず知らずのうちに顔を綻ばせた。こうやって天族に興味を持ってもらえることは、遅かれ早かれ人と天族の溝を埋めることにつながる。スレイの望んだ世界に一歩でも近づくことが、ミクリオには嬉しかったのだ。

 男から穢れが全く感じられなかったことも手伝って、ミクリオは二つ返事で引き受けた。自分で役に立てるなら、何でもしたい。

 

「もちろん、僕でよければ協力するよ」

「ありがとうございます。なかなかお手伝い下さる方が見つからずに困っていたんです。少し遠くなりますが、私の研究所においで下さい」

「どれくらい手伝えばいいんだい? 子ども達とまた遊ぶ約束をしてるんだ」

 

 ミクリオは広場の方で手を振っている少女に花の咲くような笑顔を見せながら、朗らかに尋ねた。そのせいで、見逃した。

 前を歩いている男の目によぎった、鈍い光を。

 

「なに、すぐに終わりますよ。……すぐね」


 

 男が案内したのは、マーリンドに設えられている研究施設だった。学問と芸術の街としての本来の姿を取り戻したマーリンドは、ここ百年ほどでめきめきと成長を遂げ、美術館だけでなく教育機関や研究所の類が建ち並ぶ学術都市となっている。

 往来では、本に目を落としながら通学する学生や隣国から展覧会を見に訪れたらしい老夫婦が闊歩していて、かつて原因不明の疫病が蔓延していたのと同じ場所だとは思えない。唯一その痕跡が窺えるのは、大樹の傍に建立された慰霊碑だ。疫病で命を落とした人々への手向けとして造られたそれは、街の年寄り連中に拝まれたり、若い恋人達の待ち合わせスポットになったりしていた。石碑を刻んだところで亡くなった者は戻らない、人間はまた愚かしいことをと謗る天族もいるにはいたが、そういう問題じゃない。忘れないことで救われるものも、確かにある。

 

 スレイが見たら驚くだろうな。

 

 目を輝かせて飛び回る幼馴染の姿を想像して、ミクリオは小さく微笑んだ。

 落ち葉をざくざく踏んで、道の一番奥にある研究所の扉を開けようとしていた男は、ミクリオの洩らした微笑に見惚れてちょっとの間立ち止まった。

 

「どうしたんだい? ボーっとして」

「綺麗ですね」

「何が?」

「何でもありません」

 

 ミクリオの後ろで、轟音を立てて扉が閉まった。

 だだっ広い部屋の中央には実験台だか診察台だか、人一人寝られるような簡素な台が備えられ、それを取り囲むように取り付けられた棚の中は多種多様な器具や薬品で溢れ返っている。残念ながらミクリオは薬学には造詣が深くなかったので(アリーシャに調合の仕方を教えてもらったことはあったが、あれは戦いに役立つものだけだ)、一体全体何に使うものなのかは掴めなかった。

 

 男は手近な椅子を2脚引っ張り出すと、片方をミクリオに勧め、がちゃがちゃと棚をひっくり返してからポットとティーカップを取り出した。男が茶の準備をしている間、ミクリオは物珍しげに部屋を端から端までぐるりと見回した。美術館や図書館には入ったことがあるが、研究室は初めてだ。人間の飽くなき探求心には、いつだって心底恐れ入る。

 ふと、ミクリオは衛生第一のこの場所にあるまじき道具が放り出されているのに目を留めた。

 

 ……鎖?

 

「どうぞ、大樹の花から抽出したお茶です。マーリンドの名産品ですよ。せっかく天族の方にご足労いただいたのに、ろくにおもてなしもできず恐縮ですが」

「ありがとう」

 

 甘ったるい香りを立ち上らせるティーカップを受け取ると、男は向かい側の椅子に腰かけた。

 

「天族様は、いつもお一人でいらっしゃるのですか?」

「そうだね。遺跡を巡る旅をしている途中なんだ。たまに友人が遊びに来るくらいかな」

「恋人の類は?」

 

 ミクリオはちょっと眉を跳ね上げた。

 

「それは……必要な質問かい?」

「当然です。天族の方が他者とどのような関係性を築くのかも研究の対象ですから」

 男の話し方は淡々としていて淀みがなく、完璧に説明口調だ。

「い……るけど、今は近くにはいないよ。遠くに行ってるんだ」

「そうですか。あなたのような美しい方を恋人に持てて、その方は幸せですね」

 

 男はにっこりと笑った。どう返したらいいのか判断がつきかねて、ミクリオはその場しのぎにお茶に口をつけた。舌が蕩けそうなほどに甘い。

 

「やはりあなたを選んでよかった」

「え?」

「実に好都合だ」

 

 ミクリオはカップを取り落とした。床で陶器の割れる音が響いても、男は全て見越していたかのように、薄い笑みを浮かべたまま身動きひとつしない。

 視界がぐにゃりと歪んで、引力が倍になったかの如く身体中が重くなった。今まで感じたこともないような暴力的な睡魔が襲い掛かって来て、目を開けていられない。

 意識がもぎ取られる直前に視界の端に映ったのは、どこまでも白い天井と見下ろしてくる男の冷徹な視線。


 

 目が覚めたのは、さっきまでは感じなかった、ひんやりとした肌寒さのせいだ。

 ぐらぐら揺れる頭を振り、目の焦点を合わせようとしてはっと気が付いた。実験台に、一糸纏わぬ姿でくくりつけられていたのだ。柔らかな銀髪がさらりと横に流れる。

 

「なんだ、これは……!?」

 

 驚愕してじたばたと手足を動かしてみたが、鎖でがっちりと固定されていて一向に外れる気配はない。それどころか、身じろぎする度に冷たい金属が手首に食い込んで、その部分があっという間に赤くなった。足を大きく広げられた状態のまま閉じることが出来ず、無様極まりない自分の姿に頬が熱くなる。

 

「お静かに」

 

 傍で何やらノートに書き留めていた男は、ぱたんとそれを閉じ、ミクリオの唇に素早く指を押し当てた。

 

「突然のことで驚かれたでしょう。しかし、どうぞご心配なさらぬよう。前にお越しくださった天族の方が、実験の最中に驚いて逃げてしまいましてね。二の轍を踏まぬよう、おそれながらこのようにさせていただきました」

「ここまでする必要があるのか!?」

「科学の発展に犠牲はつきものです」

 

 全く腹の底の読めない返答に、ミクリオはぞっとした。早く逃げないと、冷えた目のこの男が一体何をしでかすか分からない。

 

「妙な気は起こさない方がよいですよ。この施設は改造に改造を重ねて、天響術を遮断する仕様になっています。術が使えないどころか、霊力を吸収されて疲弊するだけです。無駄なことはしたくないでしょう。何事も省エネで参りましょう」

 

 男は前屈みになって、ミクリオの顔をわざわざ真上から覗き込んだ。鼻と鼻がほとんど触れ合いそうな距離。

 

「私が最も知りたいのは人間と天族の身体の違いです。出生のメカニズムすら未だ解明されていない存在が、一体どこまで人間を模しているのか? 果たして交配は可能なのか? 実に興味深い」

 

 男の指が、つっとミクリオの首筋を撫でた。赤の他人に触られているという気持ち悪さが、ぞわぞわと背中を這い上がってくる。思わず息を呑んだミクリオの反応など歯牙にもかけないまま、指が丹念に肌をなぞりながら下におりてくる。

 

「そのためには人体実験が不可欠だというのに、研究機関のお偉方は信仰がどうの人権がどうのとピーチクパーチクやかましい。自分達だって天族の身体を開きたくてしょうがない癖に、老害どもの建前を聞き流すのも一苦労ですよ。富豪連中の中には見目麗しい天族を口八丁で騙して囲う者もいるという話です。それなのに、世のため人のため未来のために日々研究している私が何故咎められるんだ!?」

 

 徐々にヒートアップしだした男が、ミクリオの胸に爪を立てた。

 

「いっ……!」

「……失礼。少々取り乱してしまいました」

 

 男は打って変わって冷静になったが、手指の動きは止めない。

 のこのこついてきたのは本当に迂闊だった。穢れがなかったのは、心の底から真剣にこの研究が人類の役に立つと信じていたからか。全くの狂信者だ。

 

「なるほど、ずいぶん滑らかできめの細かい肌ですね。到底男とは思えない」

 

 男はしみじみと呟いた。最初は外見から女性の天族なのかと思ったが、衣服を剥いでみると紛れもなく同性だ。それでも、傷ひとつついていない白く透き通るような肌と均整の取れた肢体は、妙な気持ちを起こさせる。まして唇を噛みながら眉を寄せ、他人の指の感触に必死で耐える様はやけに意味ありげで、反応のひとつひとつから目を離せない。

 男の喉が鳴った。

 

「……他の地域の神話では、中性的な容姿こそ神の象徴とされています。あなた自身の気質がそうなのか、それとも、天族に人間の理想的な姿を投影した結果なのか」

 確かめるかのように撫でていた指が、胸のある一点で止まった。

「……っ!」

 まるで玩具か何かのようにそこを引っ張られて、ミクリオの口から小さく息が漏れる。

「おや。気持ち良かったですか?」

「……」

 わざわざ答えてやる義理はないとばかりに顔を背けると、その態度がお気に召さなかったのか、今度は両側がまとめてつまみ上げられた。みっともないほど跳ねた身体を強く押さえつけられ、胸の先端を舌先で舐められる。気持ち悪いやら気持ち良いやらがごっちゃになってゾクゾク背中を駆け上がり、思考力を奪い取っていく。脳内まで犯されそうな感覚を押し殺そうと、ミクリオは歯噛みして男を睨みつけた。

 普通の人間であれば怯むような強い視線にも、男はびくともしない。

 

「その反抗的な目も、いかにも天族らしくて好ましいのですが……。ひとつ、私の実験に付き合っていただけますか?」

「何を……」

 

 男は脇から薬品の入っている瓶を無造作に取り出すと、透明な液体を口に含み、ミクリオの顎を掴んだ。意外な力の強さに目を見開いている間に口づけられ、液体を喉の奥に注ぎ込まれる。さっき飲んだお茶とは比較にならない、目眩のしそうな甘さが脳髄までズンとくる。生き物のように蠢く男の舌が口内をまさぐり、ミクリオの舌を絡めとった。一瞬噛みちぎってやろうかと思ったが、その隙も逃げ場もない。

 ミクリオが液体をしっかり嚥下したのを確認してから、男はちゅぽん、と音を立てて唇を放した。

「身体が熱くなってきたでしょう」

 耳元で囁かれて、いきなり息が上がった。

 下腹部から徐々に這い上がってくる。何か、が。

 

「私の調査した限りでは、天族は娯楽に貪欲な生き物です。食事が必要なくても味を楽しめるように、セックスそのものに意味がなくとも快感は得られます。一度快感を覚えれば病みつきになる者もいる。悠久の時を生きる以上、退屈を紛らわせることは最大の関心事ですからね。あなたはどうなるんでしょう? ……試してみましょうか」

 

 ま、多少は開発されているようですが。男はくすくす笑いながら、ミクリオの上に乗っかった。

 あたたかい舌が腹部を滑り、さらけ出された恥部を掠めるか掠めないかのギリギリの距離で踊る。敏感な部分に触れられる度、たとえようもないほど身体が疼いてどこもかしこもぼこぼこ熱い。こんな感覚、スレイが眠ってからはずっと忘れていたのに。

 

「気持ちいいんでしょう? はっきり言ってご覧なさい」

「そんな訳、ない、だろ」

「ご冗談を。まだろくに触ってもいないのにこの勃ち上がりようは、立派なものですよ。素直になったらいかがです」

 

 子どもに噛んで含めるような言い草とは裏腹に、肝心なところをわざと外して責め立てるやり口は意地が悪いことこの上ない。さっきの妙な薬のせいだろうか。男の漏らす吐息にさえ身体が反応して、びくびくと震える。頭がどうにかなりそうだ。いい加減前に刺激を与えて、楽にしてほしい。

 

 楽にしてほしい?

 

 自分の思考に仰天したミクリオの心を読んだかのように、男が下半身に埋めていた顔を上げた。

「触ってほしいですか」

「……」

「強情な方だ。一言『気持ちいい』『イきたい』と口にすればそれで済むのに」

 男の舌が一瞬、ぞろりと筋を舐め上げる。

「あっ……あぁ……」

「もう一度聞きますよ。気持ちいいですか?」

「……い」

「はい?」

「……もちいい」

 

 あれほど強い光を湛えていた瞳は、今や薄い膜が張ったかのように潤んで力がない。男が今どんな顔をしているのか見たくなくてぎゅっと目を瞑ると、男が嗤ったのが分かった。

 そして、突き上げるような快感。

 

「ぅあ……ああああ……!!!」

 

 勃ち上がったミクリオ自身を咥内で思うさま嬲られ、同時に胸の突起を抓られた。目の奥でちかちかと火花が散る。セックスなんか久しく忘れていた筈なのに、全身の細胞がひとつ残らず愛撫を求めてる。緩急をつけて巧みに擦られ、最後に勢いよく吸い上げられて、必死に保っていた理性が弾け飛んだ。

 

「なるほど。人間の精液とはまた違うようですね」

 

 男は、口で受け止めたさらさらの液体をその辺りの容器にぺっと吐き出すと、大事そうに布を被せた。

 これでもう解放してくれるだろうか。

 などとぼんやり期待した自分が甘かった。身体を小刻みに痙攣させて力なく横たわるミクリオの下肢が抱え上げられ、容赦なく後ろに冷たい何かがあてがわれる。

「ふっ……」

 指が侵入してくる圧迫感。次第に増やされる指に呆気なく弱いところを開かれていくのが悔しくてたまらない。悔しくてたまらない、のに。

 

「あなたが今どんな顔をされているのか、分かります? 教えて差し上げますよ」

 

 嬌声の合間に、男から残酷な言葉が降ってくる。

「欲しくて欲しくてたまらないって顔ですよ。さっきまでの澄ました表情が嘘のようだ。天族ともあろう者がそんな表情をするなんてね。まるで人間の女みたいですよ。いや、女以上かな。男の欲をそそる」

「ちが……っ」

「私は事実を告げているまでです。ああ、それと何か勘違いなさっているようですが」

 次の台詞が、ミクリオを激しく打ちのめした。

「私は媚薬なぞ飲ませていませんよ。口移しで飲ませたのはただの味のついた水」

 

 何だって?

 

 あまりのことに思わず動きを止めたミクリオを追い立てるかのように、男は突っ込んだ指を大きくかき回す。

「あ、ぅ! ……う、そだ」

「嘘じゃありません。そんな嘘をつく理由もないでしょう。即ち、あなたがここをドロドロにして私を受け入れているのは、全部、あなたの意思です」

 そんな馬鹿な。スレイにだって見せたこともないような痴態を晒し、見知らぬ男の指にさんざん好き放題弄ばれ、あまつさえ耳を塞ぎたくなるような喘ぎ声を上げていた自分に、体が震える。あの得体の知れない薬のせいだと思っていたからこそ、抗いつつも心のどこかで仕方ないと諦めていたのだ。それなのに。何で。

 何で。

 一気に力の抜けたミクリオを支えて、男は、反り返った自分のモノを擦りつけた。

 

「大丈夫。コレなしではいられないようにしてあげますから」



 

 相変わらず風の向くまま気の向くまま、フラフラと旅をしていたザビーダが、レディレイクの広場で泣いている女の子を見つけたのは全くの偶然だった。ついでに言うと、ミクリオにお菓子を強請ろうと遠路はるばるレイフォルクから下りてきていたエドナが居合わせたのもたまたまだ。

 年端もいかない子どもだろうと皺くちゃのばーさんだろうと女の涙には弱いザビーダは、ほんの軽い気持ちで少女に声を掛けた。迷子だったら不用心な母親のところへ連れて行ってあげて、美人であればついでに口説いちゃおうなんて下心もなかった訳ではない。そこでまさか、ミクリオの名が出てくるとは思わなかったが。

 

 「すいじんさまがいなくなっちゃったの。あそぶやくそくをしてたのに」としゃくり上げる少女を宥めて、ザビーダとエドナは立ち上がった。

 

「どーこ行っちまったんだか。女を泣かすなんて、ミク坊ってば隅に置けないねえ」

 

 軽口を叩きつつも、ザビーダは目をすっと錐のように細めた。

 二人の知る限り、ミクリオはよっぽどのことがなければ人と交わした約束を破らない。仮に少女の前から姿を消さなくてはならない事情があったとしても、きちんと、真摯に説明をするはずだ。ミクリオがそうやって他の人間とも天族とも、もちろん今は傍にいない幼馴染とも真面目すぎるほどに向き合ってきたことを知っている。

 つまり、これは、ミクリオに何か「よっぽどのこと」があったのだ。

 

「このワタシがわざわざ訪ねて来てあげたっていうのに。本当に手間のかかる子だわ」

「ミク坊に何かあったらスレイが怒るな」

「そうね。それはもう怒髪天を衝く勢いで怒るんじゃないかしら。スレイが」

「スレイがねぇ」

 

 二人は互いに顔を見さえしなかったが、考えていることは同じだった。

 すぐさまザビーダは風に尋ね人の行方を聞き、エドナは地脈の流れをたどる。ほどなくして、天族と人間の二人が、ある街に向かったことを突き止めた。……マーリンド。



 

「はっ……あ……」

 

 今が朝か昼か。それとも夜か。

 そんなことも分からないまま、もう何度絶頂を迎えたか知れない。男が食事か排泄か、それ以外の何かで席を外す度に回数を数えていたが、10回を超えてからは止めてしまった。

 限界を迎えるごとに意識が白く飛び散っては、背後から奥を抉られて引き戻される。後から後から溢れる涙で視界がぼやけて、目の前がほとんど見えない。

 

「もうやめてくれ……! やめ……て……」

「やめて欲しい訳じゃないでしょう。『イかせてほしい』の間違いでしょう? 言葉は正確にお使い下さい」

 

 台の上で四つん這いにさせられて両手を縛められ、角度を変えては幾度も突かれる。

 こんなに荒々しく抱かれたのは生まれて初めてだった。スレイはこんな風に自分を抱いたりしない。ミクリオの反応を逐一確かめながら、いつもゆっくりと時間をかけて、一番感じるところを探り当てていた。かすり傷一つつけないよう、宝物にでも触れるかの如く優しく腕を回して、何度も何度もキスをしてくれた。

 それがこんな、まるで性欲処理の道具みたいに扱われてあられもない声を上げている。万が一スレイが知ったら何て言うか。

 

「よく他のことを考えている余裕がおありですね」

 

 背中を柔らかく噛まれて、思わず弓なりにのけ反った。

「例の恋人ですか? 操を立てるという意識が、天族にもあるんですね。驚きました」

 いつ果てるとも知れない、この地獄のような時間が怖い。男が寿命を迎えればさすがに解放されるだろうが、その前に実験だか何だかで命を奪われないという保証はない。

 でも、一番恐ろしいのは。

 

 その時、入口の方から凄まじい音がした。

 

「どうして悪いヤツって、秘密のアジトを作るのが好きなのかしら?」

「男の子だからさ」

「バカってことね」

 身を起こした男は、入り口の扉を蹴り飛ばし、仁王立ちしている二人組を見て目を剥いた。性器を引き抜いた箇所から、ごぽごぽという水音が漏れる。

「どうして……鍵が掛かっていたはずなのに……」

「人間に見えてる環境でながーく一人旅してるとな、俺様でもこういう技術が身に付くのよ」

 ザビーダの左手には、巧みに外された施設の鍵が握られている。ザビーダは一度それを弄んでから空中に放り投げ、踵で音を立てて踏み潰した。

 

「やめて頂戴。旅をしてる天族、皆が皆そんな犯罪じみたことをする訳じゃないのよ。天族全体の品格に関わるわ」

「エドナちゃんの仰せのままに」

 

 ザビーダは台の上で荒く呼吸を繰り返しているミクリオに大股で近寄ると、拘束具をぶち壊し、そっと抱え上げた。触れても瞼すら開けないところを見ると、どうやら気を失っているらしい。

 全身が汗と涙と口にするのもおぞましい何かでべとついている。羽織らせるものがあればよかったが、生憎ザビーダにはその準備が何もなかった。人目につかないうちに、さっさと宿屋かどこかへ入った方がいいかもしれない。ザビーダは大きく舌打ちをして、ここから宿までの最短ルートを頭の中で弾き出した。

 何百年経とうが危なっかしい坊やだな、本当に。

 

「じゃあな。悪いがこいつは貰ってくわ。お前さんもこんな危ねぇ研究やめといた方がいいぜ。天罰が下らねえうちに」

 

 一方のエドナは、頑なにミクリオの方を見ないまま、つかつかと男の方へ歩み寄る。下半身を露出したままの間抜けな恰好で、男は壁の方まで後ずさった。見るからに非力な少女なのに、無表情の裏にある威圧感が尋常じゃない。それはミクリオを抱えている眼光鋭い屈強な天族よりも、はるかに男を竦み上がらせた。

 男の脳に詰め込まれている膨大なデータの中では、天族はある程度達観している存在のはずだった。にもかかわらず、美貌の青年といい、やたらと軽薄な赤目の男といい、眼前の少女といい敵愾心にあふれていて、男のよく知る天族からは逸脱していた。

 まるで、人間のようで。

 

「攻撃しようとしても無駄ですよ! この施設は天響術が使えない仕様に」

 

 最後の台詞は、エドナが明らかに顔面めがけて放った傘の一振りと、男の聞くに堪えない悲鳴にかき消された。

 

「とんまなの? 天響術が使えなくてもこっちには武器があるのよ。策士策に溺れるってこのことね」

「おいおいエドナちゃん、やり過ぎなんじゃねーの……?」

「あら、何のこと? たまたま振り回した傘が思いがけずこの男の鼻っ柱に当たっただけよ。偶然。たまさか。結果的に。天罰だわ」

 

 恣意的な天罰もあったものだ。悪びれもせずに舌を出すエドナは、床の上に仰向けに転がったままピクピクと小刻みに痙攣している男の脚をわざわざ踏みつけてから、くるりと元来た道へ踵を返した。

「行くわよ。……ミボが起きないうちに」



 

 柔らかな夕日が、薄い瞼を通して視界になだれ込んでくる。

 

「よー起きたか、ミク坊」

「遅いわよ」

 

 ベッドの上で身体を起こすと、ザビーダは窓枠に頬杖をつきながら外を眺めていて、エドナは部屋のテーブルで優雅に午後の紅茶をたしなんでいた。度重なる性行為でぐちゃぐちゃに汚れていた身体は綺麗さっぱり拭われ、宿に備えつけの服を着せられている。

 

「二人とも……何でここに? 君達が助けてくれたのか?」

「通りがかったんだよ」

「お茶請けがなかったのよ。市販のお菓子は口に合わないわ。起きたんなら、ワタシのためにお菓子を作りなさい」

「天族使い荒いねぇエドナちゃん」

「アナタはどうせ『美女ウォッチング~』とか言って、女しか見てないんでしょ」

 

 ザビーダもエドナもそれ以上話題にしようとはせず、特段ミクリオの身体を気遣う素振りも見せない。しかし、それこそが彼らのやり方なのだ。そうでなければ、ザビーダの座っていた椅子にくっきりと跡がついている理由も、エドナの飲んでいる紅茶の葉がほとんどなくなっている理由も見当たらない。

 二人はなかったことにしようとしている。自分のために。

 

「……ありがとう。ちょっと洗面所借りるよ」

 

 エドナとザビーダの視線を背中に浴びながら洗面所に入り、扉を閉めると、そのままずるずると座り込んだ。

 あの男にされた痕跡は、ひとつ残らず消えている。でも、それで記憶までが消える訳じゃない。身体の奥底まで刻み付けられたものが消える訳じゃない。

 恐る恐る指で胸をまさぐると、カッと頬が熱くなり、吐息が漏れた。

 

「……ッ」

 

 一番怖いのは、だ。

 一番怖いのは、触れられるだけで息が上がるよう、こんなに簡単に瞳が潤むよう作りかえられていることを、スレイに知られることだ。あの優しい幼馴染に勘付かれて、彼の顔が怒りと哀しみで歪むことだ。

 嫌というほど快楽を教え込まれたこの身体で、スレイと再会した時に果たして冷静でいられるだろうか。

 

「……おいミク坊、大丈夫か?」

「……今行くよ」

 

 ノックの音に、ミクリオは荒くなる呼吸を抑えて立ち上がった。

 大丈夫。君が眠ってから、隠すのは上手くなったから。

 ばれやしない。絶対に。

 

 

end

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